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一橋大学イノベーション研究センターとの共同研究を開始! 軽部先生が考える"人事の課題"とは?

 こんにちは、Smart相談室CEOの藤田です。Smart相談室は、一橋大学大学院経営管理研究科 イノベーション研究センターと、人的資本開示に関わる次世代の経営管理・能力支援開発指標の開発・社会実装についての共同研究を開始しました。

 本共同研究では、Smart相談室と一橋大学イノベーション研究センターの軽部大先生が率いる研究チームが協力し、従業員の多様な相談に関する情報を体系的に収集・整理し、従業員の個人属性や環境要因と、心理的な状況や業務成果などとの関係性について研究を推進します。

*詳細はこちらからご確認ください

 今回は、共同研究をスタートするにあたり、研究活動をリードしていただく軽部先生に共同研究を進めるうえでの課題や、今後想定される展開についてお話をお伺いしました。9000字を超える内容となりましたので、ぜひお時間があるときにお読みください。

左)Smart相談室CEO 藤田 右)一橋大学 軽部大教授

軽部 大(かるべ・まさる)
国立大学法人 一橋大学大学院 経営管理研究科 イノベーション研究センター センター長


 2017年4月より一橋大学イノベーション研究センター教授、2024年4月より同センター長。専門はイノベーション研究、戦略論、および組織論。これまで、Bryn Mawr College(2006年)、Wharton School at University of Pennsylvania (2006-2007年)にてFulbright Visiting Scholarとして在外研究を行う。受賞歴に「組織学会高宮賞(論文部門)」(1998年)、「組織学会高宮賞(論文部門)」(2003年)、「第55回日経・経済図書文化賞」(2012年)、「日本経営学会賞」(2023年)、著書に『関与と越境:日本企業再生の論理』(有斐閣、2017年)などがある。2023年8月より京都大学経営管理大学院グリーンアントレプレナーシップ研究寄附講座客員教授を兼務。
研究者情報 URL: https://researchmap.jp/read0097353


この20年で摩擦や不和が圧倒的に多くなっているのかもしれない

(藤田)軽部先生、本日はよろしくお願いします。

(軽部先生)よろしくお願いいたします。

(藤田)はじめに、共同研究の開始にご賛同いただきまして、ありがとうございます。

(軽部先生)こちらこそ貴重な機会をありがとうございます。私自身の企業経営に対する研究関心や推進している研究テーマと合致する部分がありまして、我々が今直面している時代環境を理解するうえでも有意義な研究活動ができると思いましたので、ご一緒させていただくことにしました。

(藤田)先生のおっしゃる研究テーマと合致する部分とはどのような部分でしょうか?

(軽部先生)それは

  • 経営戦略と人事戦略はいかに結びついて、両者が連動するのかという問題

  • 人事部門で働かれている方々の役割の変化

  • 「個人の働き方」と「会社組織の設計」の適正化

などです。

2000年代初頭から今日まですでに20年以上経過しています。その間、さまざまな取り組むべき経営課題がありました。どうにかしないといけない、なんとかしないといけないと多くの実務家は問題解決に奔走してきたはずなのですが、実務家だけでなくアカデミアからも、必ずしも新しい視点が出ていません。

結果として、「管理職は罰ゲームだ」なんて言われたり、メンタル不調で職場を離れる方が増えたり、出社されていても十分なパフォーマンスを発揮できていなかったりする方が顕著に多くなっています。

もしかするとこの20年で、職場で働くことに関して、さまざまな摩擦や不和が圧倒的に多くなっているのかもしれない。職場が楽しいって言う人になかなか出会わないんです。私のまわりだけかもしれないですが(笑)。

(藤田)私は2001年に新卒で社会人になったんですが、感覚的に摩擦や不和は多くなっている気がしますね。

企業経営の中で、メンタルヘルスの問題に対処できていない可能性がある

(軽部先生)身近なことで言うと、学生が「自分はメンタル不調です」っていうようになりました。こちらも主体的に気をつけてあげられるから、そう言ってくれると安心します。おそらく、会社の中でも調子が悪い人が多くなっているんじゃないでしょうか。

 仮にメンタル不調が発生したとして、ではどうやって治すのかという話になると、結局それぞれの個人の問題に帰着します。職場の問題とか日本の組織のあり方とか、企業のあり方について議論せず、個人の問題で終わらせてしまっている。ときには、メンタル不調になった方が特殊で、「メンタルが弱い人だ」なんてレッテルを貼られてしまうこともありますよね。人事戦略や人材育成、そして組織開発は、経営戦略に紐付いた重要なエッセンスです。そのエッセンスに関連した事象を「個人の問題」として片付けているような気がしてならないんです。

 メンタルヘルスの問題は、個人の問題というより、仕事のやり方・やってもらい方の氷山の一角として発現する問題だと考えます。企業戦略の問題とは、戦略を考えて実行する人の問題ですから、戦略論は組織論や人事といった人の問題に帰着するんですね。リーダシップとか人材とか、もともと持ってる人の能力が戦略として形になるんですから、戦略論って組織論なんです。もちろん、その逆も真なりです。いい戦略を作るために、新たな人を雇う。組織論は戦略論であるという側面です。

このように、戦略の問題と人の問題とは互いに影響し合っています。それなのに日本の多くの組織は、メンタル不調という顕在化した現象を個人の問題として片付けてしまっている。これでは、水面下に数多く存在していたかもしれない、人の潜在的な心の問題や感情の問題に十分に対処しきれていない可能性があります。メンタルの問題は個人の問題であって、組織の問題じゃないって考える前提が正しくないんです。

(藤田)わかります。企業幹部の方々に、Smart相談室の説明をさせていただく際に、メンタルヘルスの問題に触れたがらない幹部の方は一定数おられます。対応できてない、対応できない、と思っているから避けたいのかもしれないです。
素朴な疑問ですが、昔は対応できていたんですかね?最近、対応できなくなったんでしょうか。

(軽部先生)いや、昔も対応できていなかったと思います。いろいろな影響が絡み合って対応できなくてもよかったんだと思います。あるいは存在しないこととなっていたはずです。

例えば、所得が上がることで心の問題を押し殺して我慢することもできた。我慢しながらメンタル不調のままやり過ごしてた。転職することでうまく自分のメンタル不調を乗り越えた人もいるでしょうね。経済成長の中で、企業が成長して、順調に職位が上がってる人が多いからあまり気にしなかった。一様に同じような成果をだして、周りも同じように出世して、周囲を気にする必要もなかった。

それが、経済状況や社会が変化して、これまでのように一様なキャリアは約束されなくなった。特筆すべきは、その変化の中で、支援してくれる人が周りにいなくなったということです。そもそも社員数が減っていて、上司、部下、同僚が少ない。同期の繋がりも薄くなった。飲み会が全てではないですが、会社の繋がりは薄れ、パーソナルなことを打ち明けたり、相談したりする場がなくなった。

そのような状況が、「社員」をより「個人」にしている。会社としても「社員」を「個人」として扱うようになっている。会社はできるだけ、心のモヤモヤは無いことにしたいわけです。実際には、メンタルの問題とはいかないまでも、多くの人がモヤモヤを多かれ少なかれ抱えているはずです。

(藤田)よくわかります。そのような状況に対して、Smart相談室は仕事以外のこと、会社以外のこともなんでも相談してイイよと言っています。

みんな批判を受けたくないから、人に関わろうとしないのではないか

(藤田)人事の方の役割については、いかがでしょうか?

(軽部先生)人事の方の役割は、大きく変化していますよね。おそらく、かつて想定されていた人事の役割から、今求められる役割への変化が大きくて、うまく変容できていない会社もあるのではないでしょうか。

例えば、メンタルヘルスの文脈で言えば、これまでの人事は、社員の個別具体の事象にまで踏み込んで対応していました。でも昨今は、制度改革やシステム導入など、人に向き合う前に仕組みを考えるようなアプローチになっているように思います。

仕組みを考えて導入することは、当然一丁目一番地として必要なことではあるんですが、それはあくまでも手段であって、その前にやらなければならないことがあると思います。社員を個別に把握することによって、その社員の特徴や強みがわかる。その特徴や強みを組織としての競争優位の源泉にするような取り組みが本来は必要です。

タレントマネジメントという新しい概念が生まれていますが、その考え方の本質は「個」に迫ることの大切さです。個性に光を当てるとは、その人にしかできないことに迫るということ。それは多様性のマネジメントにもつながる話です。

(藤田)でも、あまり踏み込みすぎるとハラスメントだと思われたり、事業部の方に悪い印象を与えたりしないでしょうか?

(軽部先生)可能性はありますよね。ですが、昔はそれも加味して、人にコミットする、その責任感もある、みんなからの批判も受けるよ、というスタンスだったんだと思います。今はそこまでの覚悟はなく、みんな批判を受けたくないからなるべく入りこまないようになってるんじゃないですかね?

人事と事業部とが人に関して議論することで、初めてあるべき人材像が見えてくるんじゃないでしょうか。そんな話はより長期の事業戦略の話が前提となりますね。

(藤田)私が20代のころ、辞令発表の際に「あの人はエリートだから偉くなっていくね」とか「あの人は、あそこの部門出身だから本命だ」なんて、ちょっと政治的な部分含め言われていて、それは良くないのかな?なんて思っていました。良し悪しは別として、それは人事が特定の人をよく見ていたってことなのかもしれないですね。

(軽部先生)何をもってエリートかにも依存しますね。何かを担うという責任感を持った人が必要だという点で、エリートは組織や社会に不可欠です。エリートの根拠が出た学校に根ざした学歴だったら問題ですが…。所属部署もその人がたまたま割り当てられたものの一つに過ぎません。社長の出やすい部署や部門という神話が成立している組織ほど、組織の健全性に注意を払う必要があります。人を能力で見極めようとしているか、そこが大事です。

もちろん簡単には答えは出ない。人事が何らかの尺度でその人の能力を見極めようとしているのであれば、それも一つの考え方です。ただし公平性の視点では決して見えてきません。人事は、手続きや機会の公平性の下で、将来性という不確実な要素を加味して判断するしかない。時としてそこには、周りの人には見えない要素が加味されているかもしれない。それでも、結果的にうまく機能させるからこそ、文句はあるけど、やっぱり人事って先を見てるねっていう風に組織の中で成立するんですよね。

それが、人事が本気で人を見てない、ということになると、やっぱあれは御手盛りじゃないの?という話になる。その結果、人事が政治の一部になる。戦略性と政治性はある意味で表と裏です。簡単ではない。人の能力に関する事前の判断ほど難しいものはないから。ただ、伸びしろとか地頭とかいう抽象的な理由に逃げちゃいけない。それらはしばしば説明できない時に使われる逃げの言葉ですから。

人事領域の問題のエッセンスは能力開発

(藤田)でも世間では、SHRMとかHRBPとか言われて、「人事部門がどんどん事業部に入っていきましょう」「事業拡大のパートナーになりましょう」なんて言われてます。これまで以上に事業部に近くなって、人をしっかり見ていこうという流れはあるのでしょうか。

(軽部先生)動きとしてはあるのかもしれないですね。ですが、どの会社もDEIとか心理的安全性とかの議論をして、同じような取り組みをしていませんか。人事領域について勉強してるのかもしれないですけど、それはベーシックスキルであって、基本の上に自社固有の課題に対する施策があるべきです。そうすることで初めて、一般的な人事ではなく、当該企業の人事が初めて成立するのだと思います。

私は、人事領域の問題のエッセンスは能力開発だと思っているんです。そのうえで、自らを取り巻く社会や外部環境から「求められる能力」と「自分の現在の能力」との間にギャップが発生した際に、打ち手が必要となる。そこでうまくギャップを埋められないとメンタル不調になってしまう可能性が出てくるんだと思います。そこで、人事のサポートが必要なわけです。

この能力開発におけるギャップは、誰にでも発生するんです。その際に、自分で解決できる人もいれば、なかなかそれを解決できない人もいる。解決できない理由は、個人の属性、当該の従業員を取り巻く家庭環境とか社会環境などさまざまです。自分の能力をあえてストレッチしない人や、自分の役割を見直さない人にメンタル問題は起きないんです。むしろ挑戦の結果、メンタルの問題が生まれていると言ってもいい。そういう人は社会の、そして周囲の環境の微妙な変化に気づく人なんです。

(藤田)とはいえ、やはりサポートしすぎるとハラスメントにならないか心配にもなります。

(軽部先生)もちろん、コミュニケーションには最大限の配慮をすべきです。ですが、どちらかというと人事と社員の信頼の問題だと思います。

ハラスメントの事例には酷い事象も多いですが、他方で、おかれた固有の状況(コンテキスト)に依存する部分が大きいと思います。同じことを言っても、この人が言うとハラスメントと思わないけど、この人が言うとハラスメントだと思うっていうのは単にプロトコルとしての言葉だけじゃなくて、日々の信頼関係の上に成り立っている。互いを認め合う姿勢が基本です。それがあるかないかで、言葉の意味が当然話し手と聞き手の間で異なってくる。

その部分を理解しないと、さまざまなプロトコルに対応するのが仕事になってくる。社員はプロトコルごとに研修を受けるように言われ、疲弊する。それは避けたいですよね。だったら当たり前に腹を割って話して、お互いがお互いに少しでも知り合う機会を作った方がいい。その中で、固有の帰属意識をもってもらう必要がある。職場は、ある程度の時間を過ごす場所です。非常にドライな性格の方でさえも、働く場所に何らかの固有の帰属性がないと何らかのしんどさを感じるはずです。

 また別の視点で、社員の心の問題もあると思います。人間には当たり前にある心や感情に対して、努力を促すような監視を行うのではなく、自身の楽しみを見出させるようなアプローチが必要なんだと思います。
「求められる能力」と「自分の能力」の間にギャップが発生した際に、うまくギャップを埋められれば問題ないわけですから、個人がそのギャップを楽しめれば良い。

BEAMS創業者の設楽さんがどこかで「努力は夢中に勝てない」と書いておられて、私はその言葉が好きです。夢中っていうのは、しんどい状態ではなく楽しい状態です。それをベースに仕事をしていく。夢中になると仕事にドライブがかかるんですけど、それが職場にないから会社に行っても楽しくないし、定時で帰りたいし、ギャップを上手く乗り越えられない。

飲み会だってそうですよね。「一時間で終わりにしましょうって言ったのに、楽しくてもう二時間以上経っちゃったよ」みたいな人もいる。一方、「これは仕事ですか?」と質問されることもある。この心の問題は一つの視点として考慮すべきです。

仕事のディスクリプションと付随して共同作業を定義する

(藤田)この流れでいうと、人事が機能していないと、何らかの組織的な課題やメンタル不調が起こりやすい、ということでしょうか?

(軽部先生)いえ、それはいくつか違う理由があると思います。上長のリーダーシップ、上長との関係性、事業部のカルチャー、組織設計などですかね。組織に目を向けると、事業戦略と照らし合わせた際のコアメンバーとノンコアメンバーの混じり合い方や、雇用形態の最適化、それらを加味した制度設計が肝になってくるんじゃないかと思います。

特に、同じ仕事をしている、同じ成果を出しているのに報酬が違ったり、特定の雇用形態の方に主要業務が偏り、競争優位の源泉が正しく管理されなかったり、外部流失のリスクを孕んでいたりするケースが見落とされてないでしょうか。オペレーションに優位性をもっていたとして、そのオペレーションがナレッジとして社内で管理されているのか、情報が特定の人物に集中し、指示命令系統を逸脱した例外処理が行われていたりするなども確認が必要かもしれません。

(藤田)オペレーションに関する部分は過去よりも、よりリスクを孕んだ場面が多いように感じます。

(軽部先生)おそらく、市場が変化するスピードが速いので、テンポラリーな対応が発生してしまいます。応急処置的な対応によって、本来よろしくないと思われる体制で業務が執行されるんだと思います。私は、サービスクオリティをどうやって維持していくのかという議論が大事だと考えています。最終的なアウトプットはそのプロセスによって生まれますから、そのプロセスにおいて、一貫した質のアクションを維持するように考えるとよいと思います。

(藤田)今の日本の労働人口を考えると、テンポラリーな対応やさまざまな雇用形態の方々と組織を作っていくことは避けられないと思います。そのうえで、具体的に取り組めることはありますか。

(軽部先生)仕事のディスクリプションと付随して共同作業を定義することだと思います。それが曖昧なままだと、誰が何をしているかわかりませんし、どこにリスクが孕んでいるのかが見えません。その定義を作る際に、どこで仕事を切り出すのか、それをどこで誰にやってもらうのか、できあがりの姿はどのようなもので、デッドラインはいつなのかを確認してください。そうすることで、競争優位の源泉と組織の弱さ、改善すべきところなどが見えてきます。それが、能力開発につながってくるんです。

 人事の問題は結局、能力開発です。能力開発でのみ、人と組織はつながっていると言っても過言ではないです。その点で、「リスキリング」という言葉は適切でないし、言葉としての社会的な有用性も低いと思います。あなたの能力は使えない、というラベル以上の意味を持たないのです。すでにある能力やスキルの全てが使えなくなるわけでもないし、新しく獲得すべき能力の具体性に乏しいという意味でも不適切な表現だと思います。

「個人に起因する問題」なのか、「個人を取り巻く環境に依存する問題」なのか

(藤田)能力開発を進める際に、「求められる能力」と「自分の能力」の間にギャップが発生し、そのギャップをうまく埋められないとメンタル不調になってしまう可能性が出てくる、という話がありました。仕事のディスクリプションと付随して共同作業を定義することで、メンタル不調になってしまうかどうかがわかるのでしょうか?

(軽部先生)それはちょっと飛躍があると思います。まずは、ギャップがうまく埋められないとした場合、それが「個人に起因する問題」なのか「個人を取り巻く環境に依存する問題」なのかを切り分ける必要があると思います。それをどこまで綺麗に切り分けられるかが、ポイントになってくるんだと思います。

当該の事象は個人に起因するもので、その方特有の事例、組織としては一種の例外として捉えてよいのか。当該の方は氷山の一角で、実はその方が働いてる職場には同じようなタイプの方がいるのか。特定の方がその状況を乗り切っても、また同じパターンの方が発生する場合は、何らかの一般的なメカニズムが働いている可能性があります。

あの職場は「なんか病気になりやすい」とか「異常が起きやすい」って感じるケースなどがそれに該当する可能性があります。そうなると、ワークプレイスや職場環境に問題があって、その状況をどうやって変えていくかっていうことになる。

 今回の研究では、「個人の特徴や行動」を通じて、その背後にある「その方が属する組織の問題」を炙り出せるのではないか、何らかの仮説を提示できるのではないかと考えています。仮に、個人と組織を紐づける何らかの仮説があるのであれば、「個人の問題」は個人の問題ではなく、個人の問題を通じて見えている「組織の問題」ということになります。

(藤田)必ずしも、組織の問題ではない可能性もありますよね?

(軽部先生)そうですね、もちろんその可能性はありますよね。それはそれで、良い学びだと思います。仮に、「個人の問題」しか見えてこないのであれば、それは「組織の問題」ではなく、「個人の問題」ですね。おそらく、産業領域において、クリニカルな立場から対応していく、一般的には産業医の先生が個別に個人(従業員であり、患者さんである可能性が高い)に応答して、なんらかの対応をしていくことになるんだと思います。

 ここで重要な視点が、仮に「個人の問題」の先に「組織の問題」があるケースについて、当然産業医の先生が個人に対応しなければならないのですが、それが「組織の問題」の解決にはなっていないんですよね。例えば、従業員がメンタル不調だとして社内の産業医や市中の診療所での診察を勧める。その結果、薬の処方がされて、ケースによってはお休みする。これは、「個人の問題」の解決には部分的になってるかもしれないですが、「組織の問題」の解決にはなってないんですね。

(藤田)「個人」と「組織」を考えた際に、個人の性格や価値観が影響を与えているような気もします。世間では、日本人特有の問題、なんて言われることもあるんですが、そのような視点はいかがでしょうか?

(軽部先生)学術的にはグローバルとの比較という話だと思います。私は、グローバルでも基本は同じで、そのバリエーションにバラつきがあるという理解です。ただ、そのバラつきが著しかったり、何らかの有意な差がないとわかっているわけではないです。機会があれば、そのようなグローバル比較研究にもチャレンジしてみたいですね。日本では、心の問題を個人の問題として位置づけ、医師や病院による解決として過度に単純化してきた傾向があると思います。

(藤田)先生がお持ちの課題感や研究の方向性について、よくわかりました。今後、研究の進捗を随時みなさんに発信できればと思いますので、ご協力よろしくお願いします。

(軽部先生)こちらこそ、よろしくお願いします。今回の研究が、経営の現場で何らかのヒントになれば幸いです。


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