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「褒め」、「祝福」を受け止めよう

良いフィードバックについて

職業から対人支援の内容やアプローチ方法について考えることがあるのですが、その際に、個人的に気になることに「良いフィードバック」の受け止め方が挙げられます。端的に言うと、褒められた時や、お祝いされた時に、どのように受け止めるかと言うことです。

私自身、「問題点に関するフィードバック」については、しっかりと受け止めよう、改善に繋げよう、と思います。「嫌だな」と思いつつも、、、向き合って何かの足しにしようと言う姿勢を見せようとします(見せるだけのことも多いですが・・・)。

ですが、「良いフィードバック」については、ちょっとムズムズするし、嬉しがったら子供っぽいし、「謙虚にありがとうございます」程度があるべき対応と考えて、正面から受け止められない、受け流してしまう、ことが多いです。

今回の内容には、関係ないですが、👆のような受け止め方は、親の教育や新卒時代の指導によって作られたような気もします。専門家ではありませんが、いわゆる生育歴によるものなのかもしれません。

皆さんは、「良いフィードバック」を正面から受け止めて、自分の糧にできていますか?

ヒトの性

みなさん、どちらに目が向きますか?

上の図、見たことがある人も多いかもですが、どちらが目に飛び込んできましたか?
おそらく、左の「不完全」な方に目が行きがちかと思われます。ヒトは、ついついできていいないことへフォーカスしてしまう習性があり、それがあるからどんな時代も生き抜いて来られたわけですが、時にはだからこそ悩み、苦しいと感じてしまうこともありますね。

自分を受け入れよう、許そう

「良いフィードバック」を受け止められない。
何でなんだろうなぁ、思った際に、「謙遜すべき」、「謙虚な気持ちを持つべき」と言う思いが強すぎて、自分を卑下してしまうのかな?と思いました。
何でそうなるのかなぁ、と思った際、「自分イケてる」、「よく出来る自分」を認められないのかな?と思いました。
実際に、成果や目標から乖離がある際は、「イケてる」とか「よく出来る」と言える状態ではないので、その部分を切り取って自分全体の評価にしているようなイメージもあります。
ですが、

自分自身は、悪い存在ではなく、1人で十分に満たされた、可能性に満ちた存在

藤田作文

ですから、そのことを受け入れて良いと思います。また、仮に過去の何かのミスや過ちがご自身の思考に制限をかけているのであれば、一度、自分を許してみるのはいかがでしょうか?
まずは、自分を受け入れる、許す。そして受容する。その結果、フラットな状態でフィードバックを受ける。そうすると、これまでとは違った反応ができるはず。

受け入れて次に進もう

自分は出来ている、しっかり出来た、やった、そう受け止めることで、次のステップに進み、更に大きな成果にチャレンジできると思います。
特に大きな目標を達成した際に、ちゃんと喜んで、その雰囲気に浸りましょう。

良いフィードバックもしっかりと噛み締めて、次の目標に向かう

藤田作文

そうすることで、人生が豊かになるのかな?と考えています。


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